AMEDAMA。

しがない大学院生の、感想をつづるためのブログ。

海と哲学的ゾンビと人間らしさ ー舞台 PSYCHO-PASS Virtue and Viceー

dアニメストアで配信されていたので見ました。PSYCHO-PASSはアニメの方をずっと追いながらも、舞台は忙しい時期と重なって見に行けず。Twitterで適度にネタバレを読みつつ過ごしていたのですが、この舞台を見終えた今、心に何か重苦しいものがのしかかっています。

 

私はこの作品の中で相田が何度も口にし、行きたいとせがんでいた「海」の表現に、人間らしさを考える上でのヒントが隠されていたのではないかと思いました。

相田は何度も「海に行きたい」そして、「海はヴァーチャルでは駄目だ、どれだけそれっぽく見えても駄目だ」という旨の発言をよくしていました。

これは、海に行きたい=人間らしくありたい、海はそれっぽく見えても駄目だ=人間はどれだけそれっぽく見えても本質的に人間らしさを持っていないと駄目だ、つまり哲学的ゾンビでは駄目だ、というふうに言い換えられるのではないでしょうか。

最期まで監視官がいなきゃ海に行けないでしょ?とかっこよく笑っていた彼は、監視官がいることで、執行官は潜在犯でありながら人間らしく振る舞えると感じていたのかもしれません。けれど、それを哲学的ゾンビであった九泉に言ったことには、胸が締め付けられる思いです。

 

今回のこの舞台で、たくさん印象に残った部分はありましたが、特に印象に残ったのは、蘭具や相田が銃で撃たれたとき、「痛い!」と叫んだところでした。普段事件を解決して、危ないところにも行って、たくさん戦ってきて、それでも「痛い」んですよね、だって人間だから。痛覚だってちゃんとあるし、撃たれたら痛いし、血が出たら苦しい。物語の中の人物は、痛みに耐える描写が多かったからか、どこかで勝手に痛くないんだと、感じにくいんだと思っていたのかもしれません。でも、ちゃんと痛い。彼らだって、痛いんだと。目の前にいるのが、私と同じ人間であることを叩きつけられたようでした。

 

今回登場した三係は、監視官と潜在犯、監視官と執行官が互いを認めず、しかし事件を通して認め始め、最後は互いに認め、頼るようになる、本来であれば長い時間がかかる過程が短い間に進行しているように思えました。

はじめは所詮潜在犯だと言っていた九泉が、執行官のことを仲間と呼び、頼り、褒め、そして最期の姿に対してお礼を言った。「ありがとな」あんなにぶっきらぼうながら愛情に満ちたお礼の声を聞いたことがありません。人が亡くなる時、聴覚が最期まで残ると言いますから、どうかあの言葉が蘭具と相田の耳に届いていることを願います。そして天国で、九泉に対してそのことをネタにしてからかえばいいと思います。

死ぬ人ではなかったと思います。誰一人。

この作品がアニメの時系列的にどの部分に当たるかははっきりわかりませんが、私は彼らの姿をもっと見たかった。彼らが話す姿を事件を解決する姿を、たとえ登場人物の言葉によってしか表せなかったとしても、それでも存在を確認して笑顔になりたかった。

けれど、彼らについての物語を考えた時、過去か、この舞台の頃か、そして天国の三択しかありません。そんな風にしか彼らの未来を描けない、なんて残酷な作品だと思うとともに、なんて綺麗な作品なんだと思いました。

 

井口執行官。

一見まともそうに見えて、実は個性が爆発していた人。けれど、そのテンションの高さと個性的な言葉で、特にはじめのバラバラだった三係をバラバラにならないようにしていたのではないかと思います。

元技術屋ということで、過去に色々あったのでしょう。けれど、そんな過去を一切見せず、おどけながら年下の執行官たちに構う姿は、まるで父親が子供を可愛がっている姿に見えました。

 

蘭具執行官。

気難しそうに見えて、実は意外と優しくて、三係にも溶け込めていたのかなと思います。漫画家さんだったんですね。自分の頭の中を表現する職業だったのに潜在犯になったときは、どれだけつらかったんでしょうか。漫画家だったのにあれだけ戦えるようになっていて、「僕結構強いんですよ」なんてかっこいい台詞まで言ってて、計り知れない努力をしたんだろうと思いました。

九泉さんを庇った姿、本当に本当にかっこよかった。あんなにかっこいい人見たことがないと感じるくらい。

 

相田執行官。

生まれてからずっと潜在犯、という言葉が重かったです。あの軽やかさは、人生の諦めからきていたのでしょうか。けれど、時間を経るにつれて周囲への言葉が乱暴なだけのものから乱暴ながらも思いやりも含まれたものになっていったのを見て、そのときは、この人はこれからもっともっと幸せになるんだろうな、と思っていました。

「海に行きたい」今の私たちには簡単に聞こえる言葉は、彼にとってどれほど壮大な夢だったのでしょう。

 

大城執行官。

初めて見たとき、縢くんを思い出しました。三係のムードメーカーで、初期の監視官と執行官をつないでいた存在だったように思えます。底抜けに明るくて、優しくて、でも強くて、嘉納監視官を慕っていて、どこにでもいそうな、一緒にいたくなるような人でした。

嘉納監視官への信頼と、それが崩れて、それでもなお、最期に「ありがとうございます」と言える、その強さ。恨みつらみを吐き捨ててもいいような場面だったのに。彼は強い人だったと、そう思います。

 

嘉納監視官。

優しい人、ゆるやかで、実は意外と考えていて、どちらかというとストッパー的な役割を持つ人。そう思っていました。

けれど、正体を知った後でも、なぜか嫌いになれませんでした。

井口執行官が亡くなったあと、3人の執行官と九泉監視官が解決への道を立てる横で、寂しそうに座っていた背中が印象に残っています。あのとき、何を思っていたのか。自分は裏切り者であるのに、それでも彼らへの同情や、彼らとの絆を感じて、板挟みになっていたように思いました。もし、あのとき裏切り者である事実を何らかの理由で消されていたら、彼はどんな行動をとったんでしょうか。

 

九泉監視官。

不器用な人でした。けれど、認めるところは認める人。はじめは、まさかのちのちに執行官を頼る姿が見られるなんて思っていなかった。

哲学的ゾンビだった彼だったけれど、はじめから見返すと、必ずしもそのような思考であったようにはどうしても思えませんでした。哲学的ゾンビを超えて、自分自身の考えで動いていたのではないか。そう思えてなりません。

2人の執行官に庇われたことが、彼を最も端的に表していたと思います。執行官に自分の意志で庇われるような人物だった。それが、彼を示す最高の評価なのではないでしょうか。

 

目白分析官。

志恩さんとはまた違ったタイプの分析官でした。監視官や執行官に頼られ、いつも冷静に彼らを支えていた。そして、業務をこえた繋がりもあったのではないかと、九泉監視官を心配する声音から感じました。

パートナーが亡くなって、子どもも亡くなって、何も守れなかったことを痛感して。今度は、監視官や執行官を守ることができる立場になって、彼はまた、生きている実感を得ることができたのではないでしょうか。けれど、またなくなってしまった。

これからの彼が心配です。どうかそのまま分析官を続けていてほしい。

 

三島。

怖い人だなと思いました。それと同時に、魅力的な人だとも。

警察の子ども、そして孫世代。彼らがシビュラに対して反旗を翻そうとしていたことを話していたとき、征陸さんが頭から離れませんでした。おなじような元警察でも、妥協する道と、反旗を翻してそのまま矯正施設に行く道があった。どちらが良かったかなんて、比べられないと思いました。

彼が人間らしさを語るとき、彼がシビュラの正体を知ったら壊れてしまうのではないかと思いました。だから、どうか知らないまま物語が進行してほしい、と。

 

後藤田。

私には、彼が最期まで分かりませんでした。哲学的ゾンビであったからかもしれません。けれど、最期、あんなになんのためらいもなく頭を撃ち抜くことができたのは、彼自身の意思があったからではないかと感じます。その意思すらもプログラムなのか、本当の後藤田の意思だったのか。本当の後藤田の意思であることをどうか願いたい。死ぬ瞬間くらい、彼の本来の意思が反映されていてほしいです。

 

ラストシーンの舞台の明るさを思い出します。彼らは、海へ行けたのでしょうか。皆で海を見ることが出来たのでしょうか。天国で、海に行っていてほしい。みんなで遊んだらいいんです。相田が海の中に入って、大城も入って、嫌がった蘭具を井口が背中を押して、嘉納も笑いながら入っていって、驚いてる九泉の腕を相田が思いきり引っ張って。

そんな風景が、どこかで繰り広げられていますように。

 

人間らしさとはなにか。

私は、「自分の自由意志を持つこと」だと思いました。他人に従うのだって、「こういう理由があるから、この人に従おう」と思うはず。けれど、そこでもういいや、と思考を放棄してしまえば、人間らしさはどこかにいってしまうような気がします。

人間らしさを保てるよう、毎日大切に生きていきたいものです。