AMEDAMA。

しがない大学院生の、感想をつづるためのブログ。

私の愛した欅坂46

先日、欅坂46の活動休止および改名が報道された。

無観客ライブが始まる前から、どこからか流れた改名の噂はある意味、ライブを盛り上げるための要素みたいな、誰も本気にしないような、といいつつ少し心配がはらむような、そのような雰囲気をまとっていたように思う。

けれど、実際に改名を受けるとショックで、前向きに話そうとする声すらショックで、一番最初に出た言葉は「私が運営になる」という荒唐無稽なものだった。

思えば、欅坂のファンになってから安定した状態、今日の歌番組では、ライブでは、握手会では誰々は出席するだろうかという不安がない状態の時期はとても短かったように思う。

ちょうど不協和音がリリースされるかされないかだった時期、冠番組「欅って、書けない?」を見たことがきっかけで、全員同じ顔に見えていたアイドルがひとりひとりの個性を持って見えるようになり、気付けばゆるゆると欅坂を推すようになった。

しかし、活動休止メンバーが現れ、グループを去るメンバーが現れ、センターがいない、いても体調の心配をせざるを得ない状態であるというようなことが増えていった。

ただ、ここで言っておきたいのは、決してメンバーは悪くないと私は思っているということだ。メンバーの姿は、少なくとも私には、まっすぐな目で常に楽曲と向き合い、芸能界というプライバシーなんてものは存在しないような場所であがき、そしていつもただファンの方を向いて笑顔を浮かべているように見えた。だからこそ、ただただ、なぜ彼女たちがそのような選択をしなければならなかったのか、それだけを考える日々だった。

 

センター、平手友梨奈さんについて触れたい。

彼女は幼く、人見知りで、けれど笑顔が素敵で、パフォーマンスが随一で、間違いなく欅坂の支柱だった。けれど、5thシングルのころからだろうか、私は「平手ちゃんをセンターから外してくれ」と願うようになった。不協和音以前のことは、ファンになっていなかったこともあって直接目撃したわけではない。けれど、明らかにそのころに比べて疲弊し、笑顔を失い、思い詰めているように見えたのだ。だからこそ、センターという重圧から解放し、ただやりたいことを精一杯やってほしいと考えていた。(だからこそ、今脱退した平手さんがにこにこと仕事をしていることにとても喜びを感じている)。

また、そこには期待もあった。欅坂の先輩である乃木坂46は、1stシングルからセンターを務めていた生駒里奈さんを途中でセンターから外した。だから、いつかは平手さんもセンターから外れるだろう、そして思いっきり笑顔を浮かべることができるだろうと思っていたのだ。

 

しかし、いつまでたってもセンターは変わらず、平手さんは目に見えて落ち込んでいき、グループ全体がガタついているように見え始めた。また、ネットで「平手坂」という言葉を目撃したのもこの頃だった。

私はこの言葉が大嫌いだ。言っている人を見るたびに、勝手ながら、平手さんの苦労もわかないくせによくそんなことが言えるね、と毒づいていた。けれど、心のどこかでそう言われても無理はないと考える自分もいた。

平手坂という言葉を生み出したのは、間違いなく欅坂46の運営であると考えている。誰に何と言われようと、欅坂の運営を私は許すことができない。平手さんに頼りきりになる構造を作ったのも、平手さんとその他大勢という構造を作ったのも、お知らせが遅いことによってメンバーに文句の矛先が向けられることも、全て運営がちゃんとしていれば、と思ってしまう。

彼女たちはアイドルで、芸能人だ。けれどそれ以前に、まだ幼い、若い、女の子だ。なんならまだ未成年の子たちだっている。そのような子たちを、本来なら庇護下に置かれる彼女たちを守るのは運営の役目だろう。

芸能人だから自立しろ、一人前だという理屈はわかる。それこそ、仕事のときは若いからと言って容赦されることなどないだろうし、それは当たり前である。では、仕事以外の時のことはどうか。プライベートを安心して過ごすことができるようにするのは、彼女らを任されている大人たちの役目だ。その役目を果たすことができず、その結果仕事に影響を出し、さらにそのフォローにも回らないのならば、大人は何をしているのだ。

 

けれど、そんな状況の中でもメンバーは何とか立ち上がって、前を向いていた。その姿はいじらしく、素晴らしく、そして同時に、痛々しく見えた。こんなに頑張り屋で、優しくて、素敵なメンバーだったから、そんなメンバーが歌った曲だったから、そんなメンバーが踊ったダンスだったから、だから心に響いたのだ。だからファンになったのだ。それなのに、そのメンバーが苦しむ状況になっている。どうすればメンバーが苦しまないのか。

私はただ、メンバーが笑顔で、自分の思うようにアイドルをやっている姿を見たかったのだ。謝罪している姿も、思い詰めている姿も、苦しんでいる姿も見たくなかった。ましてやそれが、彼女たちの成長のためではなく、ただただ振り回されている結果だなんて。

 

欅坂のメンバーの話をさせてほしい。

彼女たちは一見、おとなしく、または楽曲の影響もあって反抗的な少女に見えるかもしれない。けれど実際は、明るくて、優しくて、おもしろくて、笑顔が素敵な人たちだ。

アイドル=かわいいという考え方もある中で、そのかわいさを捨て、ひたすら楽曲に向き合い、歌で、ダンスで表現しようとしている姿を尊敬している。

もちろん、バラエティを頑張ってほしいとか、そういうことを思わないでもない。けれど、それも含めて、今後も見守っていこう、みんな頑張れと、心から応援していた。

していたのに、欅坂は終わりが見えてしまった。

 

 

欅坂46が好きだった。

たとえどれだけ世間から批判されようと、メンバーが卒業しようと、新しいシングルが発表されないままであろうと、私は欅坂が好きだった。

当初は見分けがつかなかったメンバーも、今では声を聞くだけで誰かわかるようになった。

新しいMVが公開されるたびに、すぐに聞いて、何度も聞いて、周囲に新曲が出たんだと伝えて、いつ披露されるのだろうと期待をして、テレビの前で座っているあの時間が、何よりも楽しかった。

そんなすぐにいなくなるなんて思わなかった。ここからまた、それこそ欅坂の第二章が始まってまた坂をのぼっていくのだと信じていた。

新しいグループになったとしても、もちろん活動が続くのはうれしい。けれど、そこに欅坂の思い出を付随させていいのだろうか。新しいグループは新しいグループで、欅坂とは別物ではないか。

欅坂を捨てないでほしかった。メンバー全員で、まぎれもなくメンバーの努力で形作られたすべてを、簡単に手放してほしくはなかった。その程度のものであると、運営に思われているということが悔しかった。

 

10月にラストライブ、そして来年の春にはもう、新しいグループが誕生しているのだろうか。

なんとかそこまでに折り合いをつけ、今度は緑色ではないペンライトを振りたい。

どうかメンバー全員そろって、新しいグループで笑顔で過ごせていますように。

そして、そのグループが、メンバーを大切にしてくれるグループでありますように。